おいちゃんの自己紹介

自己紹介ってほどのもんが

無くて困るのよなあおいちゃん。

履歴書 書けって言われたら

余白ばっかりよわし(笑)



親をはじめ

他人様にいいように甘えまくり、

無いものを欲しがり

有るものは捨て、


どこへ向かうでもなく

何を為すでもなく、

ぷ~らぷらと生きてきた

昭和42年生まれの49歳。

↑庭の草食っとる顔を線画カメラかなんかでいじったやつ
ちなみにブログロゴはSNOWで撮影(笑)



父親は、おいちゃんが

小学生になるかならんかの頃に

脱サラして会社を興した。 


プラスティック金型を作る町工場。

製造業全盛の時代の波にうまく乗ったか、

その業界ではけっこう

成功した部類じゃないのかな。



両親ともにド田舎の農村の出で、

裸一貫からのスタートだった二人だけれども、

おかげでおいちゃんは、物心ついてから、

ひもじかったり恥ずかしかったり

という経験はあんまりしとらんね。



いくつか、覚えとる光景がある。



名古屋の暑い夏(あ、生まれが名古屋です)

家族5人で暮らす八畳の部屋。

小さいキッチン

…なんて言わんかったかな、台所だ… 

が別にあり、大家さんちの庭の端に面した

小さな縁側がついてた。

トイレはまだ水洗になってなかったな。


テレビはあったよ、

角みたいに立てるアンテナ置くやつ。

映りが悪いとき、斜め45度カラテチョップ!

とかやると直るの、40才前の人は

もう知らないかな(笑)



小さな冷蔵庫、冷えが悪くてね、

氷作るのに2時間くらいかかるのよ。

たまに贅沢してアイスクリームなんか

買ってきても、入れといたら溶けちゃう。



でそうそう、その氷さ。


たぶん、だけどね。

あの頃、家にはお金があんまりなかったと思うのさ。

一本20円のアイスを買うのがもったいない。

で、2時間かけて作った氷をガラスの器に盛って、

上から砂糖まぶしたのがデザートなわけ。


クーラーなんて

たぶん発明もされとらん頃だからね、

風鈴がちりんちりん鳴る縁側で

小さな扇風機まわして


ランニングとパンツいっちょ。

父ちゃんも兄貴もおいちゃんも

お揃いの白いグンゼYG(笑)



父ちゃんが寝そべって

その氷をガリガリかじっとる横に、

兄貴とおいちゃんがじ~っと張り付いとるの。


本当はよだれ垂らさんばかりなんだけど、

でも子供心にも、

露骨に欲しそうな顔をするのは

よくない事のような気がして、


「く、くれるんなら食べてあげてもいいけど」

みたいなやせ我慢を(笑)


考えたら、「マテ!」言われた犬も

そんな態度することあるよね、知っとる?

必死になって「べ…別に欲しくないもん」 

みたいな顔されると、可愛さのあまり

さらにイジメてやりたくなる(笑)




…おいちょと待て。

自己紹介どーした( ̄△ ̄) 


まだ幼稚園_| ̄|○、



えと、あの…その後小学校へ行きました。

ええ、ええ。成績優秀でしたよ(本当)

好きだった女の子の名前は、 

1,2年生…福田(忘)子ちゃん

3年生…市原陽子ちゃん
4年生…柴田京子ちゃん
5、6年生…丹下京子ちゃん

です。



それから中学校です。

まだ成績よかったです。

バレーボール部で。

女の子にもそこそこモテました(本当)

何年生が誰とかわからんようなってますが、

好きだった女の子は

山中妙子ちゃん、堀尾由美ちゃん、

土井さん、橋爪さん…その他いろいろ。

数が増えてきて、同時進行も。←おい



小学校5年生で恋に落ちた

丹下京子ちゃんのことは、

中学校が別々になってからも

ずっと想い続けています。



高校も名古屋です。

剣道部。

生徒会のなんとか委員長もやってます。

愛知県で1,2を争う進学校で(本当)

まだそこそこ成績優秀です。


丹下京子ちゃんが、自転車で行ける

隣の高校に入学してることが判明しました。

学校祭で再会してしまいました。


きゃーどうしましょヤバイです💦

焼け木杭、燃えてます燃えてます!

大火事です大惨事です!


うわわっ!

夕暮れ、学校帰りの公園の樹の下で

ファーストキスしちゃいました…


…からの鎮火_| ̄|○、



あの…自己紹介って、

こんなんでいいですか(-_-;)?



ふう、大学ね。

京都大学と北海道大学を受験しました。

京大はなんとなく自由そうな学風に惹かれ、

北大は広い大地に憧れました。

結果、京大がおいちゃんの価値を

認めやがらなかったので、そのまま北大に入学。


しかし朝、教科書入れたカバンを持って

原チャリで 家を出たはずが、

昼にはなぜか積丹にいたりして。


父ちゃん母ちゃんごめんなさい、

学費払ってもらいながら

ただただ籍を置いとっただけみたい_| ̄|○、



都合6年かな…

勉強もせず、かといって特に

悪い遊びしたでもないのだけど、


煙草スパスパふかしながら、

ひたすら世の中を斜めになって見てました。

長い間、傍観者であり続けたことに

どんな意味があったのか…

それはいまだに解りません。



あ、女の子の話はこの辺からパスね。

過去をぜんぶ背負っていくタイプだからわし(笑)




その後は…なんだろ。

あれやこれやアルバイトはしたし、

健康食品の代理店をやっとった時もあるね。


穀物相場の営業の仕事が唯一の会社勤め体験か。

後に自分で相場を張るようになります。

実は現在、アベノミクス2年目あたりで

パンクしてからこっち謹慎中なもので_| ̄|○、



本職はと聞かれたら

「相場師です( ー`дー´)キリッ」

と言いたいのを我慢して


「社交ダンスの先生でーす♡」

と答えるよう心掛けています(笑)



そう、その社交ダンスと出会ったのが、

先の大学の入学式なんだけどね。


その話はまた今度にしよか♪



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